2014/02/16

実森さんのこと

友人を惜別するエントリを続けざまに目にした。この数年、自分より若い人が亡くなる局面に出会う事がぽつぽつとあって、そんな話を聞く度にいたたまれない気持ちになる。そして、これが老いるって事なんだなと感じる。

それとは別に、そういう話を聞くといつも思い出すのが実森さんの事だ。もう亡くなって何年になるんだろう。

実森さんと最初に出会った当時、僕は今はなきVBマガジン編集部で鉄砲玉をしていて、クライアントさんを怒らせて編集長を謝罪に出向かせたり、徹夜で行われるユーザー会のオフ会(前世紀の響きだ)に出席したりして、まあ今とあまり変わらない毎日を送っていた。実森さんと出会ったのもそんなオフ会のひとつで、浅草の神谷バーを会場に、コミュニティのある有名人が、別のこれまた良く知られた有名人のライブマスクを取るというイベントが発生した時のことだ。あの顔型はどうなったんだろう。

たまたま二次会の席が隣になって、自分以外でメディアの人間がこの席にいることに驚いた。やけに話が面白くて、延々と二人で話しをしていた事を良く覚えている。7月のことでやけに暑かったのも覚えている。結局、深夜になって解散し、自宅に帰れない僕はそのまま会社に戻ってレビュー記事を書いたりしていたんじゃなかったかと思う。それから色々な発表会やらイベントやらの席で、実森さんの存在を意識することになった。

やがて僕はVBマガジン編集部から飛び出して、別の単発企画やら季刊誌なんかを作るようになったのだけど、そんな最中に実森さんが同じIT関連の別の会社に移籍したという話が聞こえてきた。それから、以前にも増して実森さんの存在を意識するようになった。カンファレンスの会場で講演者に名刺交換に行こうとすると、いつも一歩前にいるのが実森さんで、商売敵としてはハッキリいって鬱陶しい存在だった。あ、これ負け惜しみですから本気で取らないでくださいね。

当時、IT関連の編集者(の有志)が集う飲み会が定期的に開かれていて、その席で顔を合わせる事もあったけど、いつも忙しそうにしていて終了間際のギリギリに登場したり、結局こられなかったりと、だんだん顔を合わせる機会が減って行き、僕も雑誌の仕事を離れて書籍を担当するようになって、以前ほどはカンファレンスやらイベントに出向ことも減っていた。そんなある日、突然実森さんが亡くなったらしいという話が飛び込んできた。

最初にあった時に実森さんが努めていた会社に過去在籍していた同僚が教えてくれたのだけど、最初は一体何を言われているのか良く分からなかったのを覚えている。まだ30になるかならないかだったし、(学生時代を除けば)同年代の誰かが亡くなるなんてことは想像の埒外で、ピンとこなかったからだ。

それで実際どうなのか知りたくて、実森さんの当時の会社にいらした先輩に、聞いてみたところ「残念ながらそれは事実です」という簡潔な返信をいただいた。それ以上の情報は残念ながら分からなかった。おそらく色々な事情があったのだろう。ふと認めたくない彼の死を確認するため一生懸命になっている自分に気がついて、それ以上何かをする気が失せてしまった。

そんな訳で、実森さんはある日突然僕らの前から姿を消してしまった。今でもあの飄々とした笑顔でフッと現れるんじゃないかと思い続けてもう何年にもなるけど、残念ながらそんな事はなかった。

最近では思い出す事もだんだん減って来ていて、『ノルウェイの森』冒頭の言葉を身にしみて実感している。時々、自分がとても酷い事をしているような気持ちになって辛くなる。

最初は五秒あれば思い出せたのに、それが十秒になり、三十秒になり一分になる。まるで夕方の影のようにそれはどんどん長くなる。そしておそらくやがては夕闇の中に吸いこまれてしまうことになるのだろう

彼がいまも元気でいたら何をしていたんだろうなと時々考える。きっと変わらず僕の一歩前にいて、いつもの通り鬱陶しい存在だったんだろうなと思う。そうして、彼がなし得ただろうことを想像して、そこに一歩でも届くように自分を奮い立たせることが僕にできる唯一の事なんだと思っている。

2014/02/12

川に沿って逃げろ

ゴスペルの暗号』という書籍を読んだ。南北戦争前後、まだアメリカに奴隷制がひかれていた時代、逃亡奴隷を匿い、比較的自由であった北部自由州やカナダへの脱出を助けるための組織「地下鉄道」について書かれた書籍だ。


地下鉄道についてはWikipediaに簡単なまとめがある。英語版の方が記述は詳しいけれど以下のリンク先でもおおまかなアウトラインは分かると思う。


難しいのは存在そのものが秘匿された組織だったため、物的証拠がほとんど残ってないらしいことだ。とはいえ、関係者の証言は幾つも残っていて、特に有名なのが「地下鉄道」で逃亡奴隷の水先案内人を務める「車掌」のもっとも有名な一人、ハリエット・タブマンだ。


上記の書籍では、タブマンの非凡な能力についても紹介されていた。それは瀕死の重傷を負った事をきっかけに獲得されたという、近い将来に存在する危険を事前に察知できるとしか思えないような勘の良さだ。Wikipediaにある「この任務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった」というちょっと引っかかりのある文章は、おそらくこのことを指しているのだろうと思う。

この書籍はタブマンの話だけでなく、タイトルにもあるようにゴスペル(黒人霊歌)に隠された地下鉄道の暗号がテーマになっていて、かなり楽しめる内容だったので、ご興味のある方は手に取ってみて欲しい。

ところで、僕が本書でハリエット・タブマンの話を知った時、何かが胸の中で引っかかった。何か聞いたことがあるぞ。ぼんやりとした記憶の中から思い出した瞬間、膝を打つ思いがした。

ザ・バンドの楽曲の中でも1、2を争って有名な曲に「ザ・ウェイト」がある。この曲の歌詞は「難解な歌詞」をいう形容がされることが多く、実際繰り返し聞いても意味がよく分からなかったのだけれど、なんとこの中にタブマンのニックネームと同じ「ミス・モーゼ」という名前が登場する。
Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just ol' Luke and Luke's waitin' on the Judgment Day
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, won't you stay and keep Anna Lee company?"
一度、点が繋がりだすと、他のパートについても歌詞が暗示しているものがうっすらと見えてくる。宿を求めて彷徨う男、隠れ家を探すうちに悪魔と連れ立つカルメンとの出会い(有名なブルースマン、ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔に魂を売って、ギターの才能を手に入れたという伝説はあまりにも有名だ)、犬を連れて霧の中を迫るチェスター...

この曲の特徴的なコーラスの「Fanny」も、歌詞の最後の節にある「 I do believe it's time to get back to Miss Fanny」と重ね合わせると、とても興味深い。
Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And you put the load right on me
 「Fanny」と呼びかけるコミカルな言葉も、見かけ以上に重い意味をはらんでいるように見えてくる。

この「いわれなき抑圧から、水際を通って、犬を連れた追跡の目を盗んで逃げる」というイメージは、例えばコーエン兄弟の映画「オー!ブラザー」(犬を連れた保安官)や、古くは「逃亡者」(地下水道を逃げる主人公)に登場する。そういえばマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』も、逃亡奴隷と川が登場する話だ。

映画、音楽、小説などに繰り返し登場するイメージは、いわば米国の記憶とでも言えるものなのかもしれない。