2017/06/14

『Real World HTTP』という書籍を(9年ぶりに)編集しました

発売されています。EbookはPDF、EPUB完備です。

Real World HTTP - 歴史とコードに学ぶインターネットとウェブ技術

https://www.oreilly.co.jp/books/images/picture978-4-87311-804-8.gif

どんな本なのか?

内容は、書誌情報のページに書いてある通りですが、いまのHTTPの仕様とその周辺にある技術を、その成立過程を紐解きつつ紹介するという書籍です。

HTTPってメソッド送ってレスポンスが返ってきて、ヘッダーとボディがあって、ステータスコードが...というのは何となく知っているという人もそれなりにいらっしゃると思います(僕もその位の知識でした)。

ですが、ふと「ダウンロードの中断と再開ってどうなってるんだっけ」とか「SSLが安全ってどういうこと」とか「ブラウザでビデオ見られるやつってどうなってんの」とか考え出すと色々わからない。

そういった疑問について、おおよその概要を紹介しつつ、元の仕様や情報へのポインタがまとめられております。こんな本が読みたかった。

制作過程について

内容については渋川さんご自身が書かれたblogをご覧いただくのが良いと思います。ここでは本書の制作についてまとめます。

ご執筆はSphinxで行われました。執筆〜推敲の過程はそのままSphinx上で行い、ある程度まとまったところで、しろうさん謹製のsphinxcontrib-revierbuilderでRe:VIEW形式に変換しています。

前回、渋川さんにご執筆いただいた時はXMLBuilderでXMLを出力し、クイックハックしたXSLTでRe:VIEW形式に変換しました。以前の方法に比べると、出力した後に手を入れなければいけない箇所(主に空白の扱い)が激減しました。しろうさん素敵です。

そのあとは、Re:VIEWを元に各フォーマットを作成するというプロセスで、これはオライリー・ジャパンのサイトに寄稿していただいた武藤さんの記事が参考になります。本当は制作の工程をトップスタジオさんで行う事も考えていたのですが、オライリー側の事情で実現しなかったのは残念だったことのひとつです。

上記のような経緯で、そこから先の制作について特別なものは特にありません。一番残念だったのは、自分が10年近く書籍の制作から遠ざかっていたために、細かい部分を完全に忘れていて、もう少し機械化できる部分があったことに後から気がついてとても反省しています。最終的に力技でつじつまを合わせてしまった箇所が沢山ありました。そしてちゃんとつじつまが合っているのか今でも不安です。力技ダメ、ゼッタイ。

多様性を確保するための電子書籍

さて今回、紙の書籍で150ページ前後の電子書籍として企画されたものを、後から書籍に変更するという過程を踏みました。プロトコルのアップグレードみたいな感じです。 もちろん、電子書籍のみで出版するのと書籍にするのではかかるお金や影響が大きく異なりますので、改めて企画書を提出して社内の審査を受けています。

多くの技術書は、

執筆→書籍

執筆→雑誌連載→書籍

という過程を経て誕生します。最近では、

執筆→Webの連載→書籍

という過程もありますね。書籍1冊を書き下ろしで書くのは、書き手も出版社の側もリスクと投入コストが大きく。新しいチャレンジを行うのはとても難しい。その点、雑誌記事という場は、新しい題材へチャレンジしたり、執筆や翻訳の経験を積むためにはとても良いステージだと思います。

現在、コンピュータ関連の技術雑誌を定期発行している出版社というと技術評論社さんと日経BPさんの2社が思い浮かびますが、(僕の目から見ると)雑誌を持っている出版社さんからは、新しい書き手がどんどん登場してくる印象があります。

一方で−−僕も雑誌編集部にいたことがあるので分かるのですが−−雑誌を維持するというのはとても大変なことです。単純に企画を立て、取材をし、原稿を寄稿してもらい、誌面を制作して雑誌にまとめるというだけでも多くの労力が必要ですが、それを事業として継続するのはさらに難しい。

また、雑誌やWebの記事を書籍にまとめるという方法については、1回ごとの分量に限りがあるため、ある程度の期間連載を続けてから、内容を再構成するという過程を経ます。連載の最初の頃と最後の方では半年から年単位で期間が開いていて、対象としていたテーマそのものが変化してしまうなんてことが起きたりもします。

僕がここ数年やってきたのは、これとは別の過程で、

執筆→電子書籍→ブックレット(プリント・オン・デマンド)

という流れでした。雑誌記事よりは長く、書籍よりは短い。ある程度まとまった分量の知識を、素早く世に送り出せますし、雑誌を維持する労力よりはローコストに(≒小規模に)新しいことにチャレンジできます。今回、ここからさらに派生して、

執筆→電子書籍→書籍

という流れを作れたのは、僕としては収穫だったと思います。

最近では技術書典に出展された同人誌が商業出版に乗るというコースも登場していて、情報がまとめられて広められる方法の多様性が増しているのは良い事だと思います。

いろいろな出版の仕方ができることによって、新しいチャレンジ、これまでは世に出ることがなかった著者さんの原稿が多くの方に届けられるのではないかと思っています。電子書籍についてはいろいろなご意見がありますが、実務に携わる僕の立場からは、道具としてうまく使おうと思うだけです。

ということで、オライリー・ジャパンで電子書籍の執筆をしてみたいという方はお声がけください。締切等監視委員会はいつも皆さんを見守っております。

おとうさんはえらい

さて皆さん、ご存知の方も多いと思いますが、渋川さんは3人のお子さんを持つお父さんで、日々のお仕事に加えて子育てにも追われる日々を送っていらっしゃいます。にもかかわらず300ページを超える、しかも内容の濃い書籍をお書きになるという生産性には驚嘆させられております。しかも本書と並行してAscii.jpさんで連載しているんですよ。

お子さんたちにも何度かお会いしたことがあるのですが、これがもうとても可愛いらしいお子さんたちで、そんなご家族との時間を削って執筆していただいたことには、感謝の気持ちしかありません。

昨年の10月に、近隣に住むPythonユーザーで公園に集まってバーベキューをする機会があって、その時には「年末くらいにはまとめたいですね」というお話をしていた気がするのですが、HTTPという(いまでは)大きな仕様を相手にするにはもう少し時間が必要だったようです。

作った僕が言うのも何ですが、現在のHTTPの仕様(とその周辺)をまるっと理解して、より詳しい情報なり仕様なりにアクセスするための道しるべとしてよい本になったと思います。僕自身も勉強になりました。HTTPを使ってユーザー以上の何かをするという人は目を通しておいて損はないと思っています。

2016/12/20

カルマの消尽について

先日のエントリを書くべく、久しぶりにブログツールのコンソールを開いたところ、1年ほど前に書いた文章がほぼ書き上がった状態で見つかったので、ちょこっと手直しして公開します。問題はいまだ解決されません。嗚呼。

プログラミング関連で定期的に参加している集まりがあって、もう6、7年になるのだけれど、そこへ参加しているメンバーの中でいつの間にか最高齢グループに入っていた。そのこと自体は時の必然なのでどうということはないのだけれど、自分が年齢を重ねて行くにつれてある問題が浮上している。カルマの消尽である。

ここでいう「カルマ」とは仏教でいうところのアレではなくて、簡単に言うと「これまで奢って(たかって)飲み食いした分の借りをどう返すか」という問題だ。

20代のころは色々な人に奢っていただいた。僕の指導教官であった先生は大変お酒の好きな方で、学生と席を同じくした時には学生たちに一切お金を払わせないというので有名だった。

また、ある年の夏休みに北海道を歩いて旅行していて、道すがら車に乗せていただいたおじさんに寿司をご馳走になったことがある。同じ旅行では、釧路駅の待合室でフランスパンを齧りながら水筒の水を飲んでいたところ、向かいに座ってらした初老のご婦人に「美味しいものでも食べて」と2千円いただいてしまったこともある。

四国を歩いて旅行した時にも同様のことがあった。その時は高知駅で出会った人と一緒にテントを張ることになって、高知駅からキャンプ場までのバス代とその日の夕食を奢っていただいた。まったくの余談であるが、その方は伊藤園に勤めているという話をしていて、そのせいでいまでもペットボトルのお茶を買う時は伊藤園が最有力候補である。

社会人になってからも、先輩たちに奢っていただいたり、上司やその上司たちに沢山奢っていただいた。場合によっては、はじめから奢られる気満々でそのような人たちに「飲みに行きませんか」と声を掛けたことだってある。我ながらひどい話だ。

そうやって奢っていただいた時には、単に「しめしめ」と思っていただけだったのだが、自分が当時の彼/彼女らの年齢になってみると「このままでいいのだろうか(いや、よくない)」という想いに駆られるようになった。それは年々、強まっている。

以上、僕が「カルマ消尽問題」と呼んでいる問題のあらましである。同年代の友人にこの話をすると、少なくない人数が同様の問題を抱えているようである。

ところが、である。最近の若者達はあまり酒席が好きではないらしい。そもそも飲酒の習慣をもたないという人だっている。そのこと自体は個人の嗜好なので僕がとやかくいう事ではないのだけれど、連綿と続くカルマのバトンを握ったまま途方に暮れる40代オッサンが結構いるのだ。

ということで、この記事をお読みになった若人諸君は、ぜひ老人介護の一環としておっさんとの飲み会に付き合っていただけると我々としては大変嬉しい。時折「酒の席で説教されるのが嫌だから酒席を避ける」という話を聞くことがあるが、この問題は大変簡単に解決できる。説教されなさそうな人を選んでいただけばよろしいのだ。

と、ここまで書いてきて気が付いた。「あれ、もしかして僕面倒くさい人なの?」

つらい。

2016/12/17

#whisk(e)y と私

これはpyspa Advent Calendar 2016 17日目の記事です。

はい。誰かことturkyです。今日はこの機会をお借りして、僕の大好きなお酒であるWhisk(e)yについて振り返ってみたいと思います。

20代の頃、僕は雑誌の編集部にいました。ほぼ毎日終電で帰宅して近所のアメリカンバーに繰り込み、浴びるようにバーボンを飲む日々。ボトルを入れても3日位で開けてしまうようなひどい飲み方をしていた記憶があります。チェイサーが眞露だったこともありました(これはマスターのいたずら)。グラスがなくてラッパ飲みしていたことがあったような気もします。

公園で寝てしまったり、記憶をなくすという体験をしたのもこの頃です。いま思うとそういう代償行為によって、自分を保っていたんだろうなと思います。

当時はEzra Brooksの12年、Yellow Rose of TexasやMaker's Markとか好きでした。しばらく飲んでませんが、多分、いまでも好きです。僕のハンドルであるturkyも、もともとはWild turkeyと自分の名字を引っ掛けてつけたものです。

が、30歳になる頃ひょんなことから結婚しまして、そういう飲み方はほぼ無くなりました。それと前後して、当時仲良くしていただいていた方に連れられて、ニッカウィスキーの余市蒸溜所を訪問する機会がありました。この辺りがバーボン以外のウィスキーを飲むようになった始まりです。とはいえ、まだその頃飲んでいたのはバーボンが中心で、スコッチウィスキーは時々飲むものという位のものでした。

それからしばらくして、妻が「お茶を習いたい」と言い出します。もちろん彼女が自分の好きなことをするのに異論はありませんが、「僕も何か新しいことをしたいな」と思って、ふと思い出したのが通勤途中で目にしたポットスチルの看板です。こちらのお店

いま思うと幸運だったという他ないのですが、このお店がとても素晴らしく、特にマスターのお酒に対する知識と愛の深さ、料理番である山口さんの料理のセンスとお人柄(もちろんお酒の知識も)にはいつも新鮮な刺激をもらっていて、それ以来もう10年以上通い続けています。

とはいえ、とても意識が低いウィスキー飲みなので、銘柄とかは何となくしか覚えておらず、未だに「こんな感じのが飲みたい」「この間飲んだ〇〇が良かったので似たような(あるいはそれより△△)なやつ」「あのラベルが気になるけどどんな味ですか?」というような適当な注文しかしていません。

さて、ある時マスターに「埼玉で作ってるウィスキーがあるんです、面白いですよね」とお勧めされたのが、どんぐりのラベルがついた1本。それがイチローズ・モルトとの出会いでした。それまで飲んだことのない個性的な味で、この最初の1本がいまでも一番印象に残っているイチローズ・モルトの味です。

当時、ベンチャーウィスキーは設立間もなく、肥土さんは各地のバーを巡って商品を売り込むとともに、蒸留所設立という構想を練っていらしたそうです。元のWebサイトは消えてしまっているけど、こちらのアーカイブでその一端を垣間見ることができます。

http://web.archive.org/web/20050127203028/http://homepage3.nifty.com/venture-whisky/

当時の商品は主に羽生時代のストックでトランプのカードをラベルにあしらった「カード・シリーズ」、特に印象に残ってるのはミズナラ樽でフィニッシュをかけたクラブの2だったと思います。

それから数年して秩父蒸留所が稼働を開始し、ウィスキーを仕込んでいたのは知っていたのですが、2011年に「ついに秩父が最初のボトルを出すのでお披露目会をするんです」と教えてもらいました。完全に物見遊山で参加したそのイベントがすごかった。

大宮のホテル宴会場で行われたイベントは、ほぼマニアックなモルトファンで占められていて、夫婦で参加した僕らのような物見遊山な客はほぼいない。みなさん玄人のウィスキー飲みなので、ウイスキーはもちろんチェイサーもどんどん飲んでいて、ホテルのスタッフが「どうしてこんなに水が足りなくなるんだろう」という顔をしながらピッチャーを繰り返し補充していたのが印象に残っています。

この時お披露目されたのが「Ichiro's Malt CHICHIBU The First」で、イチローズ・モルトへの注目も今に比べれば限定的だったため僕でも購入できました。1本はVoluntas氏が「瀧澤さんの作った料理が食べたい」というリクエストで行われた自宅での飲み会の時に開け、その後ちびちびと飲んでしまいました(下記は取ってある空瓶)。

ところでこのお披露目会、最後に来場者に配られたお土産が秩父蒸留所のニューポット(蒸留器から出たままの原酒)と原料である麦のセット(下記)。後からお聞きした話ではイベント前日に急遽お土産をと、蒸留所のスタッフが夜なべして詰めたものだということです。おそらく世界に数百セットしか存在しない大変貴重な品で、家には2セットあったこともあり、一つは尊敬する先輩が前の職場を退職された時に記念に差し上げ、もう一つは家宝として大切に保管しています。



このイベントはその後も継続し、川口での2度目のイベント(日程の都合で参加できなかった)を経た後で秩父ウィスキー祭りに引き継がれることになります。
最初のウィスキー祭りが、これまた伝説的なイベントで、開催の前の週に関東地方が記録的な大雪に見舞われて開催そのものが危ぶまれつつ、ギリギリの状態で開催されたという経緯があります。写真を見返してみても、秩父神社の境内や周りの風景が、それ以降のものとは全く異なるのがよく分かります。確か秩父へ向かう電車の中で、大雪の視察に向かってるらしき議員さんが浦和の熟女パブの話をしてたのを思い出します。

https://goo.gl/photos/vajmzwatNcvdvRkc7

翌年2015年は、念願の秩父蒸留所を見学に行った年です。それまで余市、山崎、宮城峡と見学に行ったのですが、そのどれとも似ていない、独自のウィスキー作りを見学できたのが楽しかったです。下記に写真の一部をまとめてあるのですが、機械の操作盤に養生テープを貼って注意書きをするのは、自分もよくやる手法なので妙に親近感が湧きました。またこの年は蒸留所見学の後秩父に宿をとって秩父駅からシャトルバスで温泉に行ったり、県内なのに1泊旅行をするという体験もしました。

https://goo.gl/photos/M9Sw2Ex5twNw2bnTA

さて、いよいよ2016年。今年は家族が仕事の都合で参加できず、初めて一人での参加。ですがymotongpooや前述した先輩など、見知った知人が参加しているという初めての回になりました。世間的にもウィスキーへの注目が大変集まっているタイミングで、前年では考えられないような時間から長蛇の列ができるなど、これまでの経験が通用しない回になったと思っています。

https://goo.gl/photos/2T127AbhiyL8pPxCA

ということで、まとまりがありませんが私とウィスキーの関わりについてざっと振り返ってきました。イチローズモルトを中心にしてきましたが、このほかにも余市、山崎、宮城峡を見学した時の話とか、素敵なバーの話とか書きたいことは沢山あるのですが、それはまた別の機会に。

#一部は以下に書かれてます。
http://turky-in-the.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html

明日はところてん先生によるエントリです。刮目して待たれよ。

2015/12/09

(まず間違いなく)プログラマの役には立たないブックガイド

この記事はpyspaアドベントカレンダー12月9日の記事です。

pyspaのチャットルームで、自分が読んで面白かった本について書くと興味を持ってもらえることが結構あります。基本的に知的好奇心の旺盛な人が多いからだろうなあと思います。

去年の末くらいから、pyspaメンバーたちの間でインターネットラジオが流行し、その収録のためネタにする本を適当に持って行くというイベントがありました。その時に取り上げたのは以下の3冊。




これらの他にも、持って行ったけど紹介できなかった本と、候補に挙がったけど持っていかなかった本が何冊もありました。せっかくなので、今回はそのなかから幾つかをご紹介したいと思います。今回は手に取りやすいよう、文庫と新書を中心にセレクトしています。

プログラマやその周辺の職業についているpyspaメンバーや、その関連でこの文章を読んでいる人達にはおそらく、というかほぼ間違いなく役に立たないと思うけど、僕にとってはとても面白かった本ばかりなので、興味を持っていただけたらいいなと思います。

さて。

職人』竹田米吉著、中公文庫

江戸の末期に神田の大工の家に生まれ、大工としての修行の後に西洋から移入された建築学を学び建築家となった著者の回想記。もちろん、新たな技術が移入されていく過程そのものも大変興味深いのだけれど、所々に挟まれる挿話が面白い。

神田の大工の若い者の仲間が、碑文谷の安という遊び人(中略)の一家と品川で間違いを起した。大工の若い衆が神田から一団をなして品川まで喧嘩に押しかける。品川の宿は大恐慌をきたし、軒ごとに雨戸を堅く閉ざし、碑文谷の身内は屋根に熱湯を用意して待機していた。

と映画の一場面のようなエピソードが語られ、さらに喧嘩の後に料理屋を借り切って仲直りの手打ち式をする様子などが描写されています。当事者目線だからこそ分かるような瑣末なエピソードが面白いです。

昔の日本の無頼な話に関しては『侠客と角力』(三田村鳶魚著、柴田宵曲編、ちくま学芸文庫)あたりも面白い。今のような上半身を低くした姿勢から始まる相撲は、享保年間の力士が始めたものだという話が印象に残っています。

コーヒーハウス–18世紀ロンドン、都市の生活史』(小林章夫著、講談社学術文庫)

ヨーロッパでカフェの原型として、17世紀中頃から1世紀ほどの間に大流行した「コーヒーハウス」を題材に当時の分野や風俗などを紹介する本です。

この本で面白いのは、「コーヒーハウス」が単にコーヒーを飲むだけの場ではなく、政治、経済、文化など当時のさまざまな社会活動のゆりかごとでもいうべき存在だったと紹介されていること。

外国から輸入されたコーヒーを楽しむ人たちが集い、それぞれのコーヒーハウスに集う人々の交流から政治活動が起こり、宣伝媒体としてのジャーナリズムが勃興するという流れがあって、ディケンズの『ピクウィッククラブ』に描かれている紳士クラブのようなものとも関連するんだろうなと思います。いま気づきましたが、それこそリアルなチャットルームとして機能してたんだろうなと思います。

もっとも著名な例としては、漫画『MASTER キートン』の主人公が調査員として契約している世界最大の保険会社ロイズの起源が、まさにコーヒーハウスだったそうですよ。

江戸はこうして造られた』鈴木理生著、ちくま学芸文庫

『アースダイバー』や「ブラタモリ」の影響もあって、最近は地形好きという事を口にするのが少し気恥ずかしい。本書は江戸の成立をテーマにした中でも、この文庫の底本になった単行本が1990年発行と古い部類で、この本に出てくる江戸前島の図は他の本でも数多く引用されています。

僕らの知っている東京と、その元になった江戸という都市が、入り江の埋め立て、運河の掘削(埋め残し)、河川の付け替えという壮大な土木工事によって成立していく過程を解説していて、今の目で見ても容赦のない土木工事ぶりに驚かされます。

関連して関東地方の河川流域ごとの神社の分布を調査した図とか、埋め立てのために寺社の移転とそれに伴う墓地の改葬(というか破棄ですね)が行われていたという話とか、江戸時代のある面でのドライさのようなものがプンプンと伝わってきてとても面白く、また河川が当時の高速道路だったという事に気づくきっかけにもなった一冊。

この本を読んで面白いと思った人は、鎌倉時代に東海道を旅した貴族の日記から当時の風景を読み起こす『中世の東海道をゆく–京から鎌倉へ、旅路の風景』(榎原雅治著、中公新書)や、大阪の上町台地が古代には岬であったことなどを教えてくれる『地形からみた歴史–古代地形を復元する』(日下雅義著、講談社学術文庫)あたりもお勧めです。

山の宗教 –修験道案内』(五来重著、角川ソフィア文庫)

熊野山、羽黒山、日光、富士/箱根、越中立山、白山、伯耆大山、四国石鎚山、九州彦山といった全国の山岳修行の聖地を、それぞれ1章ごとに紹介する。

世界遺産にもなって盛り上がっていた熊野神宮だけど、元々の神社は熊野川の中州にあったそうです、そこから熊野社本来の姿の話が語られるのですが、結構驚かされました。サッカー日本代表のエンブレムに烏が使われているように、日本ではカラスが聖なる鳥とされていますが、なぜカラスなのか理由の一端が窺えます。

関連する書籍としては、同著者による『高野聖』(角川ソフィア文庫)も、聖俗の境界にいた下層の僧侶たちの姿を垣間見られる内容で大変面白かった。

味覚法楽』(魚谷常吉著、中公文庫BIBLO)

この本だけ書棚から見つけられなかったのですが、北大路魯山人と同時期に関西で活躍していたという料理人、魚谷常吉が書いたエッセイをまとめた一冊。

この本には結構興味深いことが書かれていて、例えば『美味しんぼ』で有名になった「ワサビの風味を消さないように刺身の上に載せる」って話と真っ向から対立する事が書いてある。醤油に普通に溶いているのですが、確かに食べるのは刺身であってワサビじゃないから、こっちの方が魚の味がよくわかる。

もう一つは刺身の下ごしらえについてなのですが、「サク取りした魚に軽く塩をしてから酢水で洗う」と書いてある。実際にやってみたのですが、魚の臭みが取れて全く味が違います。我が家で刺身を食べるときはこれが定番。刺身については、よく「生魚を切るだけと」言われたりしますが、実際には「ほとんど生のように処理したマリネ」だと理解するようになりました。

他にも沢山あるんですが、今回はこんなところで。ところで、この文章を書くために本棚を漁っていたら、以下の本(上記『山の宗教』と立川武蔵の『ヨーガの哲学』)が2冊づつ出てきて困惑しているのですが、どなたか興味ありませんか? 先着1名様づつに進呈いたします。

追記:『山の宗教』は引き取り先が見つかりました。『ヨーガの哲学』はまだ空いております!


2015/01/12

ニッカウィスキー「カフェモルト」「カフェグレーン」

昨年末の事、ニッカウヰスキーの「カフェモルト」と「カフェグレーン」のセットをいただいた。どうもありがとう。

届いた包みを開けると「お歳暮」と書かれていて、実を言えば人生初のお歳暮ではないかと思う。自分がそれに値するような大人なのかと振り返ってみると、思わず身震いがする。もっと精進しよう。

Coffey Still

さて、カフェである。この名前はCoffey Stillという連式蒸留器で作った蒸留酒(麦から作ったMaltとそれ以外の穀物から作ったGrain)であることを示している。Coffeyというのは人の名前で、連式蒸留器の開発者。Coffeyさんはこの蒸留器の特許を取得したため、別名Patent Stillとも言われているそうな。

このCoffey Still、今となってはかなり旧式に属する蒸留器で、日本国内にはおそらくこれ1台。世界的に見ても数台しかないのだそう。最近、その名が改めて脚光を浴びている竹鶴さんご自慢の蒸留器なのだそう。

数年前、ニッカウヰスキーの宮城峡蒸留所を見物(見学ではない)しに行った際、一番楽しみにしていたのはこのCoffey Stillだった。が、蒸留所の方に見学コースを案内していただいてピートのカタマリを持って写真を撮ったり、余市蒸留所と同じく注連縄の貼られたPot Still(単式蒸留器。銅でできた大きなフラスコだと思えばいい。一般的なモルトはこれで2回蒸留されて作られる)を見たりしたけど、結局最後までCoffey Stillがコースに登場することはなかった。

少し躊躇しつつ、案内員の方に「Coffey Stillは見られないのですか?」と聞いてみたところ、少し申し訳なさそうなご様子で「今は操業中なので」という答えが返ってきた所で気が付いた。

連式蒸留器で生成されるアルコールの度数は70%を超える。そのくらいの度数のラムやウォッカのラベルには「火気厳禁」の注意書きがされている。蒸留器の周辺には気化したアルコールが充満している可能性があるし、もしそんな状態で静電気の放電でも起きれば大惨事になるだろう。

ということで、その時はCoffey Stillの置いてある建物の写真を撮って満足して帰ってきた。後からバーで聞いた話では、バーテンダーさんが見学に行く際は、あらかじめCoffey Stillが操業していないタイミングを見計らって行くことが多いのだそうだ。何事にも先達あらまほしきや。

Coffey Stillの味

実はこんなことをクドクド書いているにもかかわわらず、今までCoffey Maltを飲んだ事が無かった。典型的な耳学問の未熟者である。とはいえ、ニッカのウィスキーが普及帯のものまで美味しいのには、このグレーンの存在が大きいと思っていたので、今回飲む機会をいただけとても嬉しい。

年末に口を開けて、何度か飲ませて貰った。美味しい。カフェモルトの方は最初オレンジのような香りで、後から麦の甘味と香り、それからカラメルとスパイスのような残り香がある。ブルーチーズにハチミツを垂らしたものとか、あと実家で貰ってきた黒豆なんかがよく合う。少し甘さのあるものが合うみたい。

カフェグレーンの方は、やはりオレンジのような香りは共通しているけれど、後からバーボンと似た花のような香りを感じる。こちらも甘味を感じるけど、おそらくアルコールに由来するもので、後味はモルトに比べるとややスッキリしている。こっちはゴーダチーズやナッツ類なんかと一緒に飲むのが美味しかった。少し脂っ気があるものが良いんじゃないかと思ったので、次はベーコンを切る。

どちらも他のウィスキーにはない個性があって、どんな食べ物と合わせるとイイかなと夢想したり、加水の量を変えてみたりと試行錯誤をするのが楽しい。

2014/12/18

Ingressエージェントに贈る『孫子』のすすめ

このエントリはIngress Advent Calendar 18日目の記事です。

はじめに

皆さんこんばんは。ingress楽しんでますか?もともと、友人がプレイしているという話を聞いていて「へー、ARのゲームなんだ」くらいに思っていたのですが、今年の初めに試しにインストールしてみてビックリしました。この年まであまりゲームにはハマらず生きてきたのですが、リアルな世界の歴史、地形と濃密に絡んだ戦い。思わずのめり込んで間もなく1年が経とうとしています。

さて、実はingressをはじめてから、本棚の『孫子』を改めてひっぱり出してきて3回読み返しました。それまでとは違って、エージェントとしての目で『孫子』を読むと、その文章は全く異なる姿で僕の目に映るようになりました。

『孫子』

ご存知の通り、中国古典である兵法(戦争を中心とした治世)のもっとも基本的な書物です。現在では「当たり前の事が書かれていて、いまやそれほどの価値は無い」と言われる事もあります。でも、この時代の古典というのは特殊な書物で、知識のエッセンスがこれ以上ないくらいに凝縮されています。凝縮されているがゆえに、読み手の解釈の幅が生まれてくる。ここがおもしろい。

昔から、多くの解釈や読み解き方があって、僕も岩波文庫版、中公文庫版など何冊か持っています。Webでは、以下のリンク先に原文と書き下し文が詳解されているので、一度ご覧になると楽しいと思います。本文中の引用は、このサイトからのものです。

http://kanbun.info/shibu02/sonshi00.html

ingressエージェントのための始計篇

ここでは『孫子』の冒頭、「始計篇」から幾つかご紹介したいと思います。まずは最初のこの一節。

孫子曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。ゆえにこれを経るに五事をもってし、これをくらぶるに計をもってして、その情をもとむ。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法なり。

「兵とは国の大事なり」重い言葉ですね。ingress的に読み換えてみると「ingressとはエージェントの大事なり」とでもなるでしょうか。すごくザックリいえば「リアル大事」って事です。家族に隠れてリアル課金とかするのはマズいです。ええ。

くらぶる」という言い回しはあまりピンとこないかもしれませんが、今でも「校正」という単語にその名残が残っています。「正しさを計るには、きちんと数値化して実態を把握しなさい」という話です。

「五事」というのは、こういう事。

  • 道:国の治世(君臣の心が一致していること)
  • 天:気候や天候、時機など
  • 地:地勢や地形
  • 将:指揮官の力量
  • 法:軍隊をまとめる規則や規律

これもingress的に読み替えてみるとこうなる。

  • 道:エージェントのプライベートの充実
  • 天:気候や天候、時機など
  • 地:地勢や地形
  • 将:エージェントの力量
  • 法:エージェントプロトコルや倫理観

そのままですね。読み進んで行くと、必ずしも当てはまらないような箇所もあるのですが、そういうのは気にしない事にします。そもそも千年以上前の戦争の話と、ingressでは環境が異なるので、100%同じ読み解き方をしても仕方がありません。

続いては、これも凄く有名な一説ですが、「兵」を「ingress」に置き換えて読み返してみると含蓄がありますね。

兵とは詭道きどうなり。ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれをおごらせ、いつにしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出ず。これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり。

「正面から挑んでも勝てそうにない相手にどうやって挑むか?」「エージェントに取って用/不用とは何か?」なんて事を考えながら読むと想像力を刺激されて仕方ありません。

まとめ

ということで、ingressをプレイする際に『孫子』を読んでおくと、色々面白いのでお勧めです。普通、軍人さんでなければ戦術論を実際に試してみる機会なんてありませんが、ingressでなら実際の地形や人を相手に試してみる事ができます。ピタリとはまった瞬間はとても楽しい。

ここで紹介したのは全部で十三篇ある『孫子』の最初の一篇、さらにほんのニ句だけ。もちろん全てが役立つ訳ではないので、そこはご注意ください。この時代の中国では良くある話ですが、例えばここで紹介した始計篇でも、「私の言う事を聞けば勝利間違いなし」と自分を売り込むような内容の句があったりします。その一方で、第六の『虚実篇』なんかは実際的な意味でとても勉強になると思います。

Ingress Advent Calendar 2014、明日はpekoyaさんです。

2014/11/03

『理不尽な進化』読書メモ

国書刊行会の同期で、友人の吉川浩満君が執筆した書籍『理不尽な進化』が刊行された。めでたい。

本書の執筆中に開催された合評会に呼んで貰った縁で、一部献本していただいた。有り難いことであり、またたいへん恐縮している。というのも(僕の記憶によると)合評会で僕がしていたのは、本番後の居酒屋における吉川君とのたわいもない馬鹿話だけで、本書の成立にまともな寄与をしたとは思えないからだ。

自分なりの感想をまとめることで、多少なりとも友人の書籍(の売上)に貢献できればと思っているのだけれど、より良質な解説は山本さんによって既に行われている(はず。何も書けなくなる不安から、まだ拝見していない)。ぜひこちらを先にご参照いただけたらと思う(下記リンク先)。

http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20141031

本書は「進化論」に関する書籍であり、また僕を含めた世間の人間が「進化論」という科学理論をどのようなものとして受け止めているのかについて考える書籍でもある。正直に申し上げて、本書で取り上げられているような事をこれまで考えもしなかった。だが本書に登場する進化論的ポエムとそれを言い放つ「ドヤ顔」については具体的な映像についての心当たりもある。そんな訳で、本書をとても興味深く読む事ができた。上記のような「ドヤ顔」への違和感を共有できる方であれば、本書を楽しくかつ、その違和感の正体をより深く知る一助としても読めるだろう。

というのは本書のほんの入り口で、考察はさらに専門家同士の論争を経て、進化論という学問のあり方というような所にまで及ぶのだが、僕の可哀想な理解力では(そしてまだ駆け足で一度読んだきりという状態では)、これ以上何かを書くととんでもない間違いを犯しそうなので、ぜひ実際に本書を手に取ってご自分の目で確かめていただきたい。僕自身としては良い刺激を受ける書籍であったと思っている。

ところで「進化論」というテーマには全く関係ないのだが、本書の中では他ならぬ吉川君の文章が、これまで読んだ著作に比べてより彼らしいものであったという感想を持った。ある部分とても真摯であり、そしてときおりの軽快なジョークを挟んだ文体は、まるで居酒屋のテーブルで聞いた彼の語り口そのものだ。

そんな訳で本書を読み進めながら、僕は頭の中のどこかで常に彼の表情を意識し続けていたのだが、どう考えても、その表情がドヤ顔をしていると考えざるを得ない箇所があるように思えた。次回、お会いした時にでもその真偽について確認してみたいと思う所存である。