2014/12/18

Ingressエージェントに贈る『孫子』のすすめ

このエントリはIngress Advent Calendar 18日目の記事です。

はじめに

皆さんこんばんは。ingress楽しんでますか?もともと、友人がプレイしているという話を聞いていて「へー、ARのゲームなんだ」くらいに思っていたのですが、今年の初めに試しにインストールしてみてビックリしました。この年まであまりゲームにはハマらず生きてきたのですが、リアルな世界の歴史、地形と濃密に絡んだ戦い。思わずのめり込んで間もなく1年が経とうとしています。

さて、実はingressをはじめてから、本棚の『孫子』を改めてひっぱり出してきて3回読み返しました。それまでとは違って、エージェントとしての目で『孫子』を読むと、その文章は全く異なる姿で僕の目に映るようになりました。

『孫子』

ご存知の通り、中国古典である兵法(戦争を中心とした治世)のもっとも基本的な書物です。現在では「当たり前の事が書かれていて、いまやそれほどの価値は無い」と言われる事もあります。でも、この時代の古典というのは特殊な書物で、知識のエッセンスがこれ以上ないくらいに凝縮されています。凝縮されているがゆえに、読み手の解釈の幅が生まれてくる。ここがおもしろい。

昔から、多くの解釈や読み解き方があって、僕も岩波文庫版、中公文庫版など何冊か持っています。Webでは、以下のリンク先に原文と書き下し文が詳解されているので、一度ご覧になると楽しいと思います。本文中の引用は、このサイトからのものです。

http://kanbun.info/shibu02/sonshi00.html

ingressエージェントのための始計篇

ここでは『孫子』の冒頭、「始計篇」から幾つかご紹介したいと思います。まずは最初のこの一節。

孫子曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。ゆえにこれを経るに五事をもってし、これをくらぶるに計をもってして、その情をもとむ。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法なり。

「兵とは国の大事なり」重い言葉ですね。ingress的に読み換えてみると「ingressとはエージェントの大事なり」とでもなるでしょうか。すごくザックリいえば「リアル大事」って事です。家族に隠れてリアル課金とかするのはマズいです。ええ。

くらぶる」という言い回しはあまりピンとこないかもしれませんが、今でも「校正」という単語にその名残が残っています。「正しさを計るには、きちんと数値化して実態を把握しなさい」という話です。

「五事」というのは、こういう事。

  • 道:国の治世(君臣の心が一致していること)
  • 天:気候や天候、時機など
  • 地:地勢や地形
  • 将:指揮官の力量
  • 法:軍隊をまとめる規則や規律

これもingress的に読み替えてみるとこうなる。

  • 道:エージェントのプライベートの充実
  • 天:気候や天候、時機など
  • 地:地勢や地形
  • 将:エージェントの力量
  • 法:エージェントプロトコルや倫理観

そのままですね。読み進んで行くと、必ずしも当てはまらないような箇所もあるのですが、そういうのは気にしない事にします。そもそも千年以上前の戦争の話と、ingressでは環境が異なるので、100%同じ読み解き方をしても仕方がありません。

続いては、これも凄く有名な一説ですが、「兵」を「ingress」に置き換えて読み返してみると含蓄がありますね。

兵とは詭道きどうなり。ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれをおごらせ、いつにしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出ず。これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり。

「正面から挑んでも勝てそうにない相手にどうやって挑むか?」「エージェントに取って用/不用とは何か?」なんて事を考えながら読むと想像力を刺激されて仕方ありません。

まとめ

ということで、ingressをプレイする際に『孫子』を読んでおくと、色々面白いのでお勧めです。普通、軍人さんでなければ戦術論を実際に試してみる機会なんてありませんが、ingressでなら実際の地形や人を相手に試してみる事ができます。ピタリとはまった瞬間はとても楽しい。

ここで紹介したのは全部で十三篇ある『孫子』の最初の一篇、さらにほんのニ句だけ。もちろん全てが役立つ訳ではないので、そこはご注意ください。この時代の中国では良くある話ですが、例えばここで紹介した始計篇でも、「私の言う事を聞けば勝利間違いなし」と自分を売り込むような内容の句があったりします。その一方で、第六の『虚実篇』なんかは実際的な意味でとても勉強になると思います。

Ingress Advent Calendar 2014、明日はpekoyaさんです。

2014/11/03

『理不尽な進化』読書メモ

国書刊行会の同期で、友人の吉川浩満君が執筆した書籍『理不尽な進化』が刊行された。めでたい。

本書の執筆中に開催された合評会に呼んで貰った縁で、一部献本していただいた。有り難いことであり、またたいへん恐縮している。というのも(僕の記憶によると)合評会で僕がしていたのは、本番後の居酒屋における吉川君とのたわいもない馬鹿話だけで、本書の成立にまともな寄与をしたとは思えないからだ。

自分なりの感想をまとめることで、多少なりとも友人の書籍(の売上)に貢献できればと思っているのだけれど、より良質な解説は山本さんによって既に行われている(はず。何も書けなくなる不安から、まだ拝見していない)。ぜひこちらを先にご参照いただけたらと思う(下記リンク先)。

http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20141031

本書は「進化論」に関する書籍であり、また僕を含めた世間の人間が「進化論」という科学理論をどのようなものとして受け止めているのかについて考える書籍でもある。正直に申し上げて、本書で取り上げられているような事をこれまで考えもしなかった。だが本書に登場する進化論的ポエムとそれを言い放つ「ドヤ顔」については具体的な映像についての心当たりもある。そんな訳で、本書をとても興味深く読む事ができた。上記のような「ドヤ顔」への違和感を共有できる方であれば、本書を楽しくかつ、その違和感の正体をより深く知る一助としても読めるだろう。

というのは本書のほんの入り口で、考察はさらに専門家同士の論争を経て、進化論という学問のあり方というような所にまで及ぶのだが、僕の可哀想な理解力では(そしてまだ駆け足で一度読んだきりという状態では)、これ以上何かを書くととんでもない間違いを犯しそうなので、ぜひ実際に本書を手に取ってご自分の目で確かめていただきたい。僕自身としては良い刺激を受ける書籍であったと思っている。

ところで「進化論」というテーマには全く関係ないのだが、本書の中では他ならぬ吉川君の文章が、これまで読んだ著作に比べてより彼らしいものであったという感想を持った。ある部分とても真摯であり、そしてときおりの軽快なジョークを挟んだ文体は、まるで居酒屋のテーブルで聞いた彼の語り口そのものだ。

そんな訳で本書を読み進めながら、僕は頭の中のどこかで常に彼の表情を意識し続けていたのだが、どう考えても、その表情がドヤ顔をしていると考えざるを得ない箇所があるように思えた。次回、お会いした時にでもその真偽について確認してみたいと思う所存である。

2014/02/16

実森さんのこと

友人を惜別するエントリを続けざまに目にした。この数年、自分より若い人が亡くなる局面に出会う事がぽつぽつとあって、そんな話を聞く度にいたたまれない気持ちになる。そして、これが老いるって事なんだなと感じる。

それとは別に、そういう話を聞くといつも思い出すのが実森さんの事だ。もう亡くなって何年になるんだろう。

実森さんと最初に出会った当時、僕は今はなきVBマガジン編集部で鉄砲玉をしていて、クライアントさんを怒らせて編集長を謝罪に出向かせたり、徹夜で行われるユーザー会のオフ会(前世紀の響きだ)に出席したりして、まあ今とあまり変わらない毎日を送っていた。実森さんと出会ったのもそんなオフ会のひとつで、浅草の神谷バーを会場に、コミュニティのある有名人が、別のこれまた良く知られた有名人のライブマスクを取るというイベントが発生した時のことだ。あの顔型はどうなったんだろう。

たまたま二次会の席が隣になって、自分以外でメディアの人間がこの席にいることに驚いた。やけに話が面白くて、延々と二人で話しをしていた事を良く覚えている。7月のことでやけに暑かったのも覚えている。結局、深夜になって解散し、自宅に帰れない僕はそのまま会社に戻ってレビュー記事を書いたりしていたんじゃなかったかと思う。それから色々な発表会やらイベントやらの席で、実森さんの存在を意識することになった。

やがて僕はVBマガジン編集部から飛び出して、別の単発企画やら季刊誌なんかを作るようになったのだけど、そんな最中に実森さんが同じIT関連の別の会社に移籍したという話が聞こえてきた。それから、以前にも増して実森さんの存在を意識するようになった。カンファレンスの会場で講演者に名刺交換に行こうとすると、いつも一歩前にいるのが実森さんで、商売敵としてはハッキリいって鬱陶しい存在だった。あ、これ負け惜しみですから本気で取らないでくださいね。

当時、IT関連の編集者(の有志)が集う飲み会が定期的に開かれていて、その席で顔を合わせる事もあったけど、いつも忙しそうにしていて終了間際のギリギリに登場したり、結局こられなかったりと、だんだん顔を合わせる機会が減って行き、僕も雑誌の仕事を離れて書籍を担当するようになって、以前ほどはカンファレンスやらイベントに出向ことも減っていた。そんなある日、突然実森さんが亡くなったらしいという話が飛び込んできた。

最初にあった時に実森さんが努めていた会社に過去在籍していた同僚が教えてくれたのだけど、最初は一体何を言われているのか良く分からなかったのを覚えている。まだ30になるかならないかだったし、(学生時代を除けば)同年代の誰かが亡くなるなんてことは想像の埒外で、ピンとこなかったからだ。

それで実際どうなのか知りたくて、実森さんの当時の会社にいらした先輩に、聞いてみたところ「残念ながらそれは事実です」という簡潔な返信をいただいた。それ以上の情報は残念ながら分からなかった。おそらく色々な事情があったのだろう。ふと認めたくない彼の死を確認するため一生懸命になっている自分に気がついて、それ以上何かをする気が失せてしまった。

そんな訳で、実森さんはある日突然僕らの前から姿を消してしまった。今でもあの飄々とした笑顔でフッと現れるんじゃないかと思い続けてもう何年にもなるけど、残念ながらそんな事はなかった。

最近では思い出す事もだんだん減って来ていて、『ノルウェイの森』冒頭の言葉を身にしみて実感している。時々、自分がとても酷い事をしているような気持ちになって辛くなる。

最初は五秒あれば思い出せたのに、それが十秒になり、三十秒になり一分になる。まるで夕方の影のようにそれはどんどん長くなる。そしておそらくやがては夕闇の中に吸いこまれてしまうことになるのだろう

彼がいまも元気でいたら何をしていたんだろうなと時々考える。きっと変わらず僕の一歩前にいて、いつもの通り鬱陶しい存在だったんだろうなと思う。そうして、彼がなし得ただろうことを想像して、そこに一歩でも届くように自分を奮い立たせることが僕にできる唯一の事なんだと思っている。

2014/02/12

川に沿って逃げろ

ゴスペルの暗号』という書籍を読んだ。南北戦争前後、まだアメリカに奴隷制がひかれていた時代、逃亡奴隷を匿い、比較的自由であった北部自由州やカナダへの脱出を助けるための組織「地下鉄道」について書かれた書籍だ。


地下鉄道についてはWikipediaに簡単なまとめがある。英語版の方が記述は詳しいけれど以下のリンク先でもおおまかなアウトラインは分かると思う。


難しいのは存在そのものが秘匿された組織だったため、物的証拠がほとんど残ってないらしいことだ。とはいえ、関係者の証言は幾つも残っていて、特に有名なのが「地下鉄道」で逃亡奴隷の水先案内人を務める「車掌」のもっとも有名な一人、ハリエット・タブマンだ。


上記の書籍では、タブマンの非凡な能力についても紹介されていた。それは瀕死の重傷を負った事をきっかけに獲得されたという、近い将来に存在する危険を事前に察知できるとしか思えないような勘の良さだ。Wikipediaにある「この任務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった」というちょっと引っかかりのある文章は、おそらくこのことを指しているのだろうと思う。

この書籍はタブマンの話だけでなく、タイトルにもあるようにゴスペル(黒人霊歌)に隠された地下鉄道の暗号がテーマになっていて、かなり楽しめる内容だったので、ご興味のある方は手に取ってみて欲しい。

ところで、僕が本書でハリエット・タブマンの話を知った時、何かが胸の中で引っかかった。何か聞いたことがあるぞ。ぼんやりとした記憶の中から思い出した瞬間、膝を打つ思いがした。

ザ・バンドの楽曲の中でも1、2を争って有名な曲に「ザ・ウェイト」がある。この曲の歌詞は「難解な歌詞」をいう形容がされることが多く、実際繰り返し聞いても意味がよく分からなかったのだけれど、なんとこの中にタブマンのニックネームと同じ「ミス・モーゼ」という名前が登場する。
Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just ol' Luke and Luke's waitin' on the Judgment Day
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, won't you stay and keep Anna Lee company?"
一度、点が繋がりだすと、他のパートについても歌詞が暗示しているものがうっすらと見えてくる。宿を求めて彷徨う男、隠れ家を探すうちに悪魔と連れ立つカルメンとの出会い(有名なブルースマン、ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔に魂を売って、ギターの才能を手に入れたという伝説はあまりにも有名だ)、犬を連れて霧の中を迫るチェスター...

この曲の特徴的なコーラスの「Fanny」も、歌詞の最後の節にある「 I do believe it's time to get back to Miss Fanny」と重ね合わせると、とても興味深い。
Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And you put the load right on me
 「Fanny」と呼びかけるコミカルな言葉も、見かけ以上に重い意味をはらんでいるように見えてくる。

この「いわれなき抑圧から、水際を通って、犬を連れた追跡の目を盗んで逃げる」というイメージは、例えばコーエン兄弟の映画「オー!ブラザー」(犬を連れた保安官)や、古くは「逃亡者」(地下水道を逃げる主人公)に登場する。そういえばマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』も、逃亡奴隷と川が登場する話だ。

映画、音楽、小説などに繰り返し登場するイメージは、いわば米国の記憶とでも言えるものなのかもしれない。